DICOM

提供:メディカルウェア
2011年8月11日 (木) 13:51時点におけるimported>Administratorによる版 (→‎DICOM画像の利点と欠点)
ナビゲーションに移動 検索に移動
ファイル:PET-CT.png
同じくOsiriXでPET-CTを3Dに再構成

DICOM(ダイコム)とは、Digital Imaging and COmmunication in Medicineの頭文文字をとった規格名で、モダリティ機器やPACSが用いる医用画像フォーマットおよび通信プロトコルを定義した規格である。

DICOM規格は米国における独自規格であり、ISOなどが定める世界標準規格ではないが、事実上のデファクトスタンダードとなっている。

普通の写真カメラがデジカメ化したように、レントゲン写真もデジタル化したことで、フィルムではなく画像ファイルとして保存されるようになり、その受け渡しもネットワーク越しに行われるようになり、ファイルサーバーで管理されることとなった。DICOMではその画像ファイルフォーマットやネットワーク越しの受け渡し方法などを規格化したもので、CTコンピュータ断層撮影)やMR核磁気共鳴画像法)、CRコンピュータX線撮影)などの医用画像機器モダリティ)で撮影した医用画像のフォーマットをはじめ、それらの画像データをどのように他のモダリティPACSドライイメージャーなどで送受信する、高精細モニターの初期設定はどうあるべきか、などが細かく規格化されている。

もともとはヒト人間)のために作られた規格であるが、動物病院をはじめ、飛行機などの非破壊検査でも使われ始めており、DICOM規格もそれらに対応すべく拡張が続けられている。

利点と欠点

DICOM画像

読影を行うという意味では、高精細モニターが写真フィルムに比べ、画質が大幅に劣ることから敬遠される傾向があった。たとえばレントゲン写真をみるためのシャウカステンは輝度3000~15000カンデラ、写真フィルム自体のコントラストは20000諧調くらいある。現在最高スペックの高精細モニターなどをもってしても一桁性能が違う。

ただDICOM画像は、ウィンドウレベル変換などの写真フィルムとは異なる見方ができ、解析や再構成も容易、可搬性や保管性なども圧倒的に優れているなどの写真フィルムにはない利点も多々ある。

通信

ネットワーク越しに簡単に画像データをやりとりできるため、遠隔医療遠隔読影も一気に普及の兆しを見せている。ただし遠隔医療における施設間の連携は、学閥・医局の繋がりが総てと言っていいほど強いので、最近流行りのパブリック・クラウド的な商業サービス化にたどり着くには何十年もかかると思われる。

歴史

DICOMの正式な規格名は「DICOM 3.0」である。

20世紀

20世紀の医用画像業界は大手モダリティメーカーによる支配下にあった。大手モダリティーメーカーによる独自規格が乱立し、メーカー間どころか、自社システム間ですら他部署が作ったので互換性がないという状況で、何かしらのシステムを導入するたびに大規模な相互接続システムの開発が行われていた。

ここ最近の無名フリーソフトにも遙かに劣る今では考えられないほどショボいスタンドアローンの医用画像ビューアですら1台1億円を越え、そのビューアで見るためにモダリティ機器からフロッピーディスクにデータを書き出すシステムも特注開発で1モダリティあたり数千万円という恐ろしい世界が出来上がっていた。

メーカーにしてみれば、それはユーザーの囲い込みであり、一度導入されてしまえば他社への乗り換えは事実上不可能、かつ何かしらを導入するたびに大規模な連携システムの開発が行われ、莫大な金が動く非常に儲かる商売であり、当然その利権を手放そうとはせず、その混沌は日々加速していった。

革命前夜

その混沌とした医用画像業界に終止符を打つべく、米国放射線学会 (ACR) が主導し、1981年から医用画像フォーマットの標準化を目指す医用画像規格の開発が始められた。

ただ、ACRは放射線科医を中心とする利用者側の団体であり、単独で発表したところで、利権に塗れた世界中のメーカーの連合などに潰されてしまうのは目に見えていた。

そこでACRは北米電子機器工業会 (NEMA)の助けを借り、ACR-NEMA 1.0を1985年に発表、続けてACR-NEMA 2.0を1988年発表した。

この時点では世界が動くことはなかったが、生き残った。

DICOM 3.0

その後、1992年の北米放射線学会でDICOM3.0を大々的に発表したのを切っ掛けに一気に流れが変わった。この時点でも大手モダリティメーカーを動かすことは出来なかったが、その存在が一気に世界中の医療従事者に知られることとなった。欧州を中心としたフリーソフトOsirisの登場や、日本におけるJ-MAC SYSTEMの登場と低価格市場の開拓など、大きな波が生まれようとしていた。

この際、ACR-NEMA 2.0から仕様が劇的に大規模化したことを受け、ACR-NEMA 3.0からDICOM 3.0 (1993年)と名称変更された。また、併せて新たにDICOM Standards Committeeという団体が設立され、規格制定および追加・変更はそちらに移管された。

なお、1993年のDICOM 3.0の制定から規格変更が行われていないわけではなく、以降はDICOM 3.0 2009などと改訂年度が末尾に付くようになった。改訂に際しては「廃止」と「追加」のみが行われており、「変更」は行われていない。このため、DICOM規格の改定が行われても、既存システムに影響が出ることはなく、その時点での適合性宣言書 (コンフォーマンス・ステートメント)の改訂を必要としない。ただし、希に例外的な改変があるので注意が必要である。

世界標準

本当の意味でDICOMが世界を動かしたのは2003年3月23日の出来事である。

2003年3月23日、米国政府は以下のような発表を行った。

この命令は即日発効である。
すべての連邦機関は次の規格を採用しなければならない。

Digital Imaging and COmmunication in Medicine、DICOM。

これは医療に関わるデジタル画像と診断情報を、さまざまなメーカーのデバイスや、
医療スタッフの使うワークステーションから検索および取得を可能にするものである。[1]

世界最大の市場である米国で商売したければ、必ずDICOMに準拠しろという命令が発効されたのである。 大手モダリティーメーカーも動かないわけには行かなくなった。

あとはご存じの通り。

問題点

初期のDICOM規格ではOSI参照モデルに準拠した製品を想定し、IEEE 1284(通称セントロニクス、パラレル・プリンタ端子として有名)やRS-232Cによる2点間通信を筆頭に、コンピュータ創世記に考案された多種多様な通信方式をサポートできるようになっていた(現在はTCP/IPを残し、他は全て廃止された)。

その一方で、世間一般ではOSI参照モデルではなく、インターネットやイントラネットで用いられているDARPAモデルに準拠した製品が普及してしまった。

このためDICOMでは追加仕様としてTCP/IPサポートが追加されたのだが、その際にTCP/IP上でOSI参照モデルをシミュレートするという手法を採用した。これにより既存のシステムはTCP/IPの単純な処理だけを実装するだけで対応できるという利点もあった。その一方で、純粋なDARPAモデル準拠製品ではネットワークカードなどのハードウェア上で超高速に処理されるパケットの並び替えや再送処理などが全てソフトウェアによって行われることとなり、CPU負荷が高く通信速度も出ないなどという問題を抱えることになった。

ただ、このような幅広い間口を用意したことで普及を促進したのも事実である。現在はパソコンを中心としたコンピュータの想像を絶する進化と、医療機器の進化の遅さも相まって、いずれも問題にならないレベルに達している。唯一の残された問題点は、ニッチな市場性と、新規参入の難しさくらいである。

内包データ形式

DICOMは医用画像向けの規格であり、一般的にはCT等から発生する生データや、それらをランレングス圧縮や、JPEG、JPEG2000といったで圧縮形式で画像データが内包されている。

DICOM規格で規定しているデータ種別には、RFC2557(MHTML)およびXMLによるプレーン・テキスト形式が存在し、それらの形式をもちいてカプセル化を行えば(データ変換しておけば)、事実上どんなデータでも内包できる。ただし、そのような実装を行っているソフトは非常に稀であり、心電図心音を音声ファイルとして格納している例が確認されている程度である。

関連用語

Category:DICOMを参照。

詳細

DICOM関連ソフトウェア

関連項目

参考文献